サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

「生きよ、堕ちよ」と彼は言った

 読んだ方が直ぐに気付かれるかどうか分からないが、この「霊園」という作品は、東日本大震災の惨禍から着想を得て綴ったものである。執筆は、震災の年の十月頃で、私は直接的に罹災した訳ではないが、当然のことながら震災発生当時の騒然たる世情は未だに生々しく記憶に留まっている。

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 執筆当時も考えたことだが、自分が直接的に罹災した訳でもない、あの未曽有の惨禍から、勝手な妄想を膨らませて詩を書くというのは、不謹慎な営為かも知れないという懸念は、今でも完全には払拭されていない。深刻な被害を受けた方々にとっては、あれは「筆舌に尽くし難い」経験であり、呑気な第三者によって安易には語ってもらいたくない「トラウマ」に他ならないだろう。私は全く純粋に、己自身の詩情の材料として、あの震災の悲劇を作品の遠景に流用したのだ。

 しかも、この詩篇において、私は「悲劇を忘れること」を望む男の身勝手な欲望を点綴した。震災で恋人を失った女性に慕情を寄せる男の感情に焦点を合わせたのである。そのような書き方に、震災で実際に大切な誰かを失った方々は、名状し難い不快や憤怒を覚えるかも知れない。自分の個人的な趣味で書いて、パソコンのメモリーに死蔵しておく分には構わなくとも、こうして誰でも不特定多数の人間が閲覧可能な状態にする以上、そうした反発に対して何の責任も負わないと言い張るのは、独善的な態度だろう。尤も、無名の素人が気紛れに綴っただけの拙い詩篇に、大勢の人が眼を通すかも知れないなどと危惧を募らせるのは傲慢な杞憂に過ぎないかも知れないが。

 だが、私は罹災した方々を侮辱する為に、震災の凄絶な記憶を借用した訳ではない。私は寧ろ、悲劇の中から、瓦礫の山積する荒廃した大地から、再び立ち上がる為の勇気と希望を描きたかったのである。大切な人を暴力的な災害によって永遠に奪い去られた女性の苦悩に寄り添うことも無論大事だ。恢復は、傷ついた心に寄り添うことから始めない限り、永久に成し遂げられないだろう。だが同時に、その傷ついた心に固着し続けることで生じる弊害の存在から、眼を背ける訳にもいかない。失ってしまった以上、新しい世界を切り拓く為には、次の階段へ歩み出すしかない。比較にはならないが、私も離婚したときは総てを失ったと思い、頭の中では未練と郷愁が、掘り当てられたばかりの油井のようにゴボゴボと尽きることなく氾濫を続けたものだ。けれど、そこから踵を返し、それまでとは異質な方角へ向かって肚を括り、新しい靴に履き替えて一歩踏み出さない限り、世界は永遠の凍結の中で、冷え切った沈黙を轟かせるばかりである。傲慢な言い方であることは承知の上だが、幸福の形は一つではない。失われたものを哀惜するのは人間の自然な性に違いない。けれど、哀惜だけでは幸福を呼び戻すことは、否、新たな幸福を築き上げることは不可能なのだ。どちらを選ぶのも個人の自由である。堪え難い悲嘆に総てを捧げる貞潔も、紛れもない美徳であると私は信じる。だが、失われたものを憐れむ余り、次なる幸福へ踏み出すことを「罪悪」と捉えるのは間違っていると言いたい。どんな境遇の人にも、己の幸福を希う資格と権利が備わっていると、私は確信して疑わない。

 私の敬愛する作家・坂口安吾は、有名な「堕落論」というエッセイの中で次のように述べている。

 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

 死んでいった者たちへの弔意を保つことと、生き残った者たちが新たな幸福を願い、それを手に入れることとの間に、背徳的な矛盾を見出すのは謬見であると私は思う。それは「人間へ戻ってきた」ということであり、それ自体を恥じたり、罪責を感じたりするのは誤りだ。無論、考え方は様々であり、敢えて操を立てるのも一つの立派な見識である。だが、そのとき生じる「罪悪」の観念によって、己の闊達な魂を窒息させるのは、実に残念なことだと思わずにはいられない。確かに、死んでいった者たちに明日は来ないし、輝かしい未来も永遠に訪れない。その厳正な事実を鑑みれば、生き残った者たちが目映い未来を夢見るのは、一種の「裏切り」のようにも感じられるだろう。だが、生き残ったことは罪悪ではなく、恩寵であり、幸福である。その恩寵に甘えることは、死者の霊魂を毀損することには帰結しない。絶対に帰結しないと、私は言いたい。