サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

サラダ坊主の幸福論 2 エピクロス先生の静謐な御意見(一)

 先般「サラダ坊主の幸福論」と銘打って見切り発車で始めた続き物の企画であるが、端的に言って「幸福」とは実に多義的な概念である。それをどのような角度から、どのような趣旨で捉えようと考えているのかによって、当然のことながら「幸福」という言葉の定義の性質は変わってくる。

 だが、そういう「見地の違い」も含めて多様な見解を徴することが、この企画の充実には欠かせないプロセスであると思われるから、最初から厳密な抽象的要件の確定に就いて曖昧な私的議論を積み重ねることは遠慮して、結果は扨措き、先賢の遺した貴重な訓誡の言葉を咬み締めるところから始めたいと思う。

 先ず取り上げるのは紀元前四世紀から三世紀にかけて、古代ギリシアで活躍した哲学者エピクロスである。その哲学的業績は、デモクリトス機械的な原子論にラテン語で「クリナメン」(clinamen)と呼ばれる「偏差」の概念を導入した点で特筆されるが、当時の哲学者は皆、自然学から倫理学まで広範な分野に関する思索を展開しており、エピクロスもその例外ではない。彼の厖大な著述は今日、悉く散佚して、他者による言及も含めて現存する資料は極めて僅少であり、岩波文庫に収められた総ての断簡の翻訳でさえ、脚注の部分を除けば概ね一五〇頁ほどの分量しか発見されていない。古代ローマの詩人ルクレーティウスが著した「物の本質について」という表題の韻文が、エピクロスの思想の総体を現代に伝承する稀有の文献として珍重されている。

 プラトンアリストテレスの著述は例外的に夥しい分量が保存され、後世に伝えられているが、エピクロスのように、その著述の過半が滅失している古代の思想家は枚挙に遑がない。ソクラテス以前の哲学者に関しては、その殆どが現存する些少の断片だけを頼りに研究されているのが実情である。従って二千年以上も昔に物故したエピクロスの思想を完全に復元することには物理的な限界が課せられていると言わざるを得ない。とはいえ、今回の「幸福論」の記事を通じて私が取り扱いたいと考えている主題はそもそも倫理的な分野に局限されているので、必ずしもエピクロスの思想が全面的に解明されている必要はない。私はエピクロスの思想の総体を把握し、究明するという壮大な碩学的野望に駆り立てられている訳ではなく、飽く迄も往古の智者が「幸福」という主題に就いて如何なる知見を述べているのかを確かめ、それを分析して自らの血肉と成したいと慎み深く志しているに過ぎないのである。

 現存する総ての断簡を集めて日本語に訳出した『エピクロス――教説と手紙』(岩波文庫)に基づいて、エピクロス先生の倫理学的な見識を学び、その遺訓を綿密に調べて何らかの有益な知見を引き出すことが本稿の狙いである。別けても、主として倫理学的な問題が重点的に扱われている「メノイケウス宛の手紙」からの引用が、此度の論究の枢要を成すものと思われる。

 人はだれでも、まだ若いからといって、知恵の愛求(哲学の研究)を延び延びにしてはならず、また、年取ったからといって、知恵の愛求に倦むことがあってはならない。なぜなら、なにびとも、霊魂の健康を得るためには、早すぎるも遅すぎるもないからである。まだ知恵を愛求する時期ではないだの、もうその時期が過ぎ去っているだのという人は、あたかも、幸福を得るのに、まだ時期が来ていないだの、もはや時期ではないだのという人と同様である。(「メノイケウス宛の手紙」『エピクロス――教説と手紙』岩波文庫 p.65)

 この文章は、エピクロス先生が弟子のメノイケウスに宛てて書いた私信であると考えられている。この冒頭の一節は弟子に対して、哲学的探究における基本的な心構えを説いたものである。先生は筋金入りの哲学者であり、知性的な人物であるから、当然のように「知恵の愛求」即ち「哲学」(philosophy)の探究の重要性に就いて真っ先に語っている。ここで着目すべき要点は「霊魂の健康」という表現だろう。エピクロス先生は「哲学の研究」を、直ちに「霊魂の健康」の確保という明瞭に倫理的な課題へ結び付けている。同時に「知恵の愛求」は「幸福の獲得」と類推的な仕方で相互に接続されている。「哲学の研究」と「霊魂の健康」と「幸福」は何れも共通の価値を指し示す概念として、一つの親密な関係を形作っているのである。

 それゆえ、若いものも、年老いているものも、ともに、知恵を愛求せねばならない。年老いたものは、老いてもなお、過去を感謝することによって、善いことどもに恵まれて若々しくいられるように、若いものはまた、未来を恐れないことによって、若くてしかも同時に老年の心境にいられるように。そこで、われわれは、幸福をもたらすものどもに思いを致さねばならない。幸福が得られていれば、われわれはすべてを所有しているのだし、幸福が欠けているなら、それを所有するために、われわれは全力を尽すのだから。(「メノイケウス宛の手紙」『エピクロス――教説と手紙』岩波文庫 p.65)

 エピクロス先生の学説は、知性的な探究と精神的な幸福とを緊密に連動させた状態で捉えている。その幸福論は極めて主知主義的な性質を備えており、こうした特質は先生のみならず、アテナイの賢者プラトンの遺した夥しい対話篇の裡にも認められる、古代ギリシアの思想的伝統であるように見受けられる。ミレトスの賢者タレスに発祥すると伝承される古代ギリシアの旺盛な「思惟」の系譜は常に、自然学的な探究と倫理学的な探究とを一体的に捉え、運用している。何かを知ること、事物の本性を見究めること、正しい認識に到達することは、古代ギリシア的な幸福論の要諦を成しているのである。正しい知性を持ち、事物の認識に関して謬見を回避することは「霊魂の健康」の増進に寄与する。そして「霊魂の健康」を確保し維持することは即ち「幸福」の把持を意味する。つまり「哲学の研究」は単なる抽象的で観念的な遊戯ではなく、我々の日々の生活から遊離した無益な空理空論でもないのである。

サラダ坊主の幸福論 1 開幕の口上

 不図思うところがあり、今回から断続的に「サラダ坊主の幸福論」と銘打って、甚だ輪郭の曖昧な「幸福」という観念を主題に、古今東西の先賢の書物を渉猟し、特定の分野に固執することなく、成る可く横断的で柔軟な思索を積み重ねていこうと発起した。

 思うところがあり、などと書くと、何やら意味深長に聞こえるかも知れないが、別に深刻な煩悶の類に強いられて、こういう奇態な計画を案出した訳ではない。私は2017年の晩秋から「体系的読書」というものを個人的に志し、専ら三島由紀夫の小説ばかりを繙読して拙い感想文を認める自家製のカリキュラムを自らに課してきた。ただ、根本的には人為的な「虚構」に過ぎない小説だけを集中的に読み漁ることへの疑念も捨てられず、昨年の早春頃からは、古代ローマの賢人セネカの書物を皮切りに、哲学や思想の範疇に属する書物に就いても、成る可く歴史的な時系列に即して(文化というものは必ず先賢の叡智を踏まえて新たな成果が積み上げられていくものであるから)素人ながら精一杯の読解を試みるようになった。

 けれども、単に「思想」という条件で読書の対象を絞ろうとしても、当然のことながら、その及び得る範囲は極めて広大で、個々の思想家の性質や主題も実に多様である。古代ギリシアソクラテスと、古代インドの仏陀とを同列に並べて「思想」という括りの下、縦横無尽に読みこなせるのは余程明晰で強靭な頭脳の持ち主だけであり、そんなことを試みても凡人の身分では圧倒的に寿命が足りない。ギリシア語の原典を直に読みこなせる本格派の学究でさえ、生涯を費やしてもプラトンならばプラトンの研究の現場に僅少の成果しか附加することが出来ない現実を考え合わせると、現代の日本語しか扱えない市井の庶民が、無闇に「思想」と息巻いて我流の読書に励むのは、聊かも体系的な読書とはなり得ないだろうと思われる。

 三島由紀夫の繙読に就いても、彼の作品を残らず読み通すことは分量的に不可能ではないが、果たして自分は片端から三島の著作を読解して(そもそも読解出来ているのかどうかも怪しいのだが)最終的に何処へ辿り着こうとしているのか、という根本的な懐疑を棄却することが出来ずにいる。私は三島の小説の中では「金閣寺」が好きで、元々は「金閣寺」の読解の水準を向上させる為に他の作品にも眼を通そうという魂胆で、先述した「体系的読書」という壮麗な計画を立ち上げたのだが、その計画が果たして自己の如何なる実存的関心に適合しているのか、次第に心許なくなってきた。そうやって足許が揺らいできて、三島を読んでいるとプラトンが気懸りとなり、プラトンを読んでいると三島が恋しくなるといった具合に、方針の混乱が避け難く顕在化するようになり、鬱々たる心境に陥った。三島由紀夫の「金閣寺」は好きでも、或いは三島の遺した夥しい分量の犀利な批評的随筆の類は興味深く読めても、私は別に三島の全作品を愛している訳ではないし、例えば彼の政治的思想などには一抹の関心も有していない。何だか我ながら偏屈な企てに自縄自縛になっているなという想いが拭えなくなってきた。とはいえ、ただ既定の計画を投げ出すだけでは面白くないし、無益である。

 そこで「幸福」という主題の下に横断的な読書を繰り広げてみるのはどうだろうか、という考えが急浮上した次第である。何故「幸福」なのか、と問われれば、率直に申し上げて思い付きである。しかし、私にとって「幸福」という主題は、多くの人間にとってそうであるように、生きる上で最も重要な概念であり、しかもその素性の見極め難い曖昧さは図抜けている。誰でも気安く「幸福」という言葉を用いるが、その正体を精確に見定め、その組成を漏れなく把握している人は稀である。そもそも私がセネカを読んだのも、その文章が人間の「幸福」に就いて、別の言い方を用いるならば倫理的な規範に就いて、有益な助言や勧告を豊富に含んでいると思われた為であった。

 中学生の頃、私は思春期に固有の悩み(本当に固有かどうかは定かではないが)に苛まれ、自分が何の為に生きているのか明確な理由を保持することが出来ず、未来において如何にして生きれば良いかも自信が持てず、じめじめと陰気な懊悩を病んでいた。その頃は禅宗の教義に救済の方途を求めて、図書館へ通って鈴木大拙の著作などを分からないなりに耽読し、高校には進まず出家でもしようかと半ば本気で思い詰めた時期もあった。或いは武者小路実篤の呑気な随筆や小説を読んで、自分もこんな風に楽天的な人間になりたいと強く憧れたり、坂口安吾の「堕落論」や「日本文化私観」を読んで融通無碍の「無頼」の自由な境涯を崇拝したりもした。寺山修司の「家出のすすめ」に深く魅了されたこともある。小説家に憧れたのも、結局は煩わしい世俗の拘束から自由になれそうだと、ロマンティックな願望を勝手に投影していただけの話である。

 煎じ詰めれば、私は十代の頃から兎に角「幸福になりたい」と願い続け、畢竟「自由」さえ手に入れれば幸福になれるのだと無邪気に信じていた。だから大学も途中で放擲し、小説家になるんだと嘯いて、一端に「自由への道」を歩き出した積りでいた。そのまま行けば、私は毒にも薬にもならないフリーター稼業の末席を穢しながら、何れは路傍の亡骸となっていたかも知れない。幸か不幸か、なけなしの自由を獲得した途端に或る女性を妊娠させてとんとん拍子に結婚することとなり、それまでは「自由=幸福」の方程式を後生大事に拝んでいたのが、大慌てで「愛情=幸福」に宗旨替えする運びとなり、渋々ながら勤人となって社会の風波に揉まれることとなった。ところが「愛情=幸福」の教義が如何に難解であるかを知らずに良人となり父親となった私の人格的未熟は惨憺たる有様で、五年ほどで愛想を尽かされて離婚届を書いた。それから紆余曲折を経て、現在の妻と所帯を持ち子を成した訳であるが、その後も私の個人的な「幸福論」は危なっかしい迷走を続け、不道徳な関係を持って家族の信頼を著しく毀損する愚行にも走ってしまった。妻の寛大な愛情と驚嘆すべき忍耐力によって家庭内執行猶予の身分となった私は、現在は平凡な良人であり父親であり入社十五年目の勤人である。

 要するに私は何処にでもいて、幾らでも替えの利く凡百の愚者の一味であり、強いて趣味を挙げれば読書くらいのもので、そういう退屈な人間が今後の人生を見越して何か有益な「体系的読書」を試みるならば、それは先賢の遺した「幸福論の蒐集或いは検討」ということに尽きるだろうと勝手に結論した訳である。高校三年生以来、喫煙の習慣を欠かさない前近代的な私が長寿を全うする見込みは乏しく、他方、この二千数百年の間に人類の選良が生み出した「古典」の数は厖大である。つまり、世界に氾濫する無限の典籍を徹底的に厳選したとしても、それら総てを読破し、正しく適切な解釈を手に入れることは概ね不可能に等しいのである。だから、せめて自分自身の人生に対して有益な読書への「選択と集中」(聊か古いか)を心掛けたい。そういう経緯から此度こうして「サラダ坊主の幸福論」という記事のカテゴリーを新設することとした。余り気負っても中途で挫けるだけであるから、ゆったりと構えて地道に取り組みたいと思う。言い訳がましい前置きは以上である。

戦後的ニヒリズムの肖像 三島由紀夫「魔群の通過」

 三島由紀夫の短篇小説「魔群の通過」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。

 この作品に登場する人々は何れも癖の強い、奇態な性質の持ち主ばかりである。主役に当たる伊原を除いて、彼らは何れも敗戦による社会の激変によって著しい没落を強いられたという共通項を有している。そして作品の全篇を充たしているのは、この没落から生じる破滅的な頽廃の匂いと、殺伐たるニヒリズムである。ここには甘美な夢想、三島が数々の作品で描いてきた浪漫主義的な幻想は殆ど含まれていない。

 この仲間で唯一人戦後の落伍をまぬかれた立場から、この人たちを前にしては謙虚であろうと努めることで、伊原は嘆かわしい軽さわぎに耐えることができた。尤もその謙遜自体におびただしい軽蔑の甘味を盛り込みながら。(「魔群の通過」『ラディゲの死』新潮文庫 p.82)

 戦後的ニヒリズム、という抽象的な言葉で、この作品に漂う頽廃的な空気の組成をラベリングすることは可能だろうか。敗戦によって、日本社会の価値観や正義、真理の内実は急激な転回と改訂を強いられた。華々しく悲愴な軍国主義は全面的に断罪され、交戦権の抛棄、国民主権、経済的繁栄が、戦後の日本社会を嚮導する基本的な方針として採用された。そうした新規の理念に共感し得ない者、敗戦による堅牢な日常性の再建を受容し難い者は、戦後的社会の繁栄を呪詛し、憎悪することになるだろう。そこに生じる深刻なニヒリズムの病弊は、三島由紀夫の文業に伏流する最も重要な主題の一つとして定義することが可能である。

 ――嘆かわしい人たちだった! あらゆる滋養分をうけつけない瀕死の病人の胃のように、彼らの魂は何らかの有効なもの・有意義なもの・高いもの・美しいものをうけつけられない状態にあり、強いての摂取は死をもたらすのだった。しょうことなしに彼らはヴィタミンを軽蔑していた。事実それは彼らに毒なのであったから。今では彼らを衰亡にみちびく類いの元素だけが、辛うじて彼らの胃に受け入れられた。モルヒネ中毒者がモルヒネ以外の何ものをもねがわないように。(「魔群の通過」『ラディゲの死』新潮文庫 p.84)

 戦後社会において唯一「没落」の憂き目を免かれ、新時代の論理に適合して野心的な栄達の階梯を着実に昇りつつある伊原に主要な視点を置きながら、作者は戦後的ニヒリズムの毒牙に蝕まれて多様な醜態を晒している人々の「症状」を解剖しているのだと言えるかも知れない。彼らは社会が認める共通の価値に対して賛同したり従属したりすることが出来ない。彼らの没落と窮乏は、彼らの存在が戦後的な価値観の体系に適合しないことの反映である。彼らの衰亡は不可避の経路であり、寧ろ没落だけが、彼らの有する旧来の価値観への忠誠の証明なのである。

 十畳の座敷には座蒲団が敷き並べられ、床の間の前に十六ミリ用の映写幕が立てられていた。フィルムはむかし蕗屋が巴里で買い蒐めて持ちかえったものだった。五人のうち三人までが巴里を過去に持っている今夜の客は、それらのフィルムがエロティックだからというだけの興味で来るためには薹の立った人たちばかりだったが、彼らののぞみはむしろすぎし日の遊楽のいちばん露わな偽りのない映像に、追憶のなかにあるいわば「酔わせない酒」ともいうべきもの、非情な情緒・明晰な陶酔ともいうべきものを見出すことにあるのだった。それはおそらく今日の時代が至るところで彼らに思い起させる過去へのいたましい憧憬を、苦しみのない方法で癒やしてくれ、その憧憬をいつも一そういたましいものとする回想の甘味を処理して、生の炭酸水のような味わいのものに造りかえてくれるはずであった。(「魔群の通過」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.86-87)

 作品の前半の山場を成すブルーフィルムの上映会の場面は、聊かも官能的で煽情的な要素を含んでいない。観衆たちの主要な関心は劣情を催すことではなく、過去の享楽的な日々の栄華を懐古することに置かれているからである。それは単に感傷的な郷愁に溺れる甘美な悦楽を意味するものではない。甘美な追憶は、それが甘ければ甘いほどに一層、現状との深刻な落差を実感させ、彼我の距離を冷酷に痛感させる危険な副作用を伴う。ブルーフィルムの上映と鑑賞は、必ずしも過去へ回帰したいと想わせるものではなく、ただ享楽的な過去の純然たる記録に留まることによって、恐らくは一種の痛みのない安息を、魔群の人々に与えてくれるのである。それは栄光に満ちた幸福な過去の実在を報せる間接的な符牒に過ぎず、豪奢な生活の記憶を直ちに明瞭な映像として具現化するものではない。

 ところがこうした想像力の詩にはあやまちがあった。けだるい映写機械の響きにつれて、画面の中をころがりまわる男女のモデルのように、この人たちがただ金のために真率に愛し合うことができたとしたら、大正時代はおろか、現代に住みつつ憂目を見ないで力に溢れて生きていられる筈なのだった。彼らの衰亡はひとえに、自分自身への不実から来たのであるから。――たまたま成功をつづけている伊原にしても、偶然が許した例外というだけで、本来この人たちの一族に属すべきことに変りはないのだ。(「魔群の通過」『ラディゲの死』新潮文庫 p.89)

 この記述は、具体的に何を意味しているだろうか。「金のために真率に愛し合うこと」という表現は恐らく、戦後的社会を支配する最も強力な倫理的規矩、即ち「経済的繁栄への奉仕」に対する忠勤を示唆しているものと考えられる。それが出来ないからこそ、彼らは不可逆的な没落と衰亡の途上にあることを強いられているのである。しかし、その次の「彼らの衰亡はひとえに、自分自身への不実から来たのであるから」という記述は、何を意味しているだろうか。「自分自身への不実」とは具体的に如何なる言行を指すものなのか。要するに彼らは「自分自身」に対する誠実な態度を欠いていると定義されている訳だが、それは如何なる理由に基づく現象なのか。

 上記の一節を整理すると、彼らが「金のために真率に愛し合うこと」が出来ないのは「自分自身への不実」が原因であると言われているように解釈し得る。言い換えれば、経済的利潤の追求に対して夢中で献身的な姿勢を貫くことは、自分自身に対する「誠実」を含意するという考え方が、この一節には混入されている。だが、この考え方は聊か皮肉なニュアンスを帯びていないだろうか。経済的繁栄の為に精励することこそ、自分自身に対する「誠実」の証左であると看做すことは、戦後的倫理に対する忠誠を正しい生き方として定義する考え方を前提としている。経済的な合理主義への反発は直ちに「自分自身への不実」という範疇に組み込まれる。「自分自身」に対する誠実な生き方を心掛けるならば、人は「金のために真率に愛し合うこと」を重んじなければならない。煎じ詰めれば、経済的なエゴイズムを貫徹することが「誠実」であると看做されるような性質こそ、戦後的社会における倫理の特徴なのである。

 伊原は呆気にとられて、そう言っている蕗屋の動かない表情を見詰めた。それはなお伊原の前でたじろがなかった。外から来る変動の非常識さに業を煮やした人間にはさもあるべき事ながら、蕗屋護はそうした社会的変動が自分に強いる行為の非常識さにも恬然として責任をもつまいとつとめている風だった。冷淡な父親が子供の無躾な振舞をほったらかしておくように、彼はこんな常軌を逸した自分の行動をほったらかしておくのであった。警戒すべきはただその「ほったらかし」を遮げようとする自己愛だ。いかに今の蕗屋護は利己主義者の遠くにいたことだろう。(「魔群の通過」『ラディゲの死』新潮文庫 p.92)

 蕗屋は戦後の没落に強いられ、生計の維持の為に自邸を用いた宿泊業を営んでいる。けれども、彼は経済的な合理主義に対する積極的な荷担を企図する代わりに、微妙な自己欺瞞、或いは自己の観念的な二重化を選択している。社会の変動によって齎された自己自身の変節を、彼は自己の主権の埒外における無関係な現象のように遇している。経済的エゴイズムを「誠実」と看做す論理に基づいて言えば、蕗屋は微妙な自己欺瞞の操作を堅持することによって「自分自身への不実」を保全しているのである。この欺瞞的な分離の意識を阻害するものは「自己愛」である。この場合の「自己愛」という言葉は要するに、欺瞞的な折衷を破壊し、統一的な自己を成立させようとする衝迫を示唆しているものと思われる。彼は経済的な原理に従属する自己の部分を外在化し、赤の他人のように扱っている。言い換えれば、彼は「誠実な自己」を主観的な領野から放逐しているのである。無論、それは彼の主観の側から眺めるならば「不実な自己」であるに違いないが、自己の利益という観点から眺めるならば、生計の為の変節を受け容れる態度こそ「誠実」なものであると言わざるを得ない。このような分裂は、蕗屋の胸底に屈辱的な感情を培養するだろう。経済的原理に隷属する「誠実な自己」を抱え込まざるを得ない彼の苦衷は、自分自身に対する主権の制限を意味しているからである。

 まるで魔窟へ行ったあくる朝のような、心の味気ないしこりはどうしたことか。昨夜飲んだブランディの酒量もわずかなら、昨夜の眠りも夢一つ見ない他愛のなさだ。古い友人が集まって一夕の興にエロティック映画を「鑑賞」し、その一人があくる朝頓死したというだけのことなのである。とはいうもののあそこには、単なる猥褻よりももっと始末のわるい何かがあったではないか。見知らぬ女と寝ることをさえ、たかだかトランプ遊び程度にしか考えぬ四十歳の男をして、何一つ起らなかった「紳士的な」一夜に対して嘔気を催さしめるに足る何ものかが、――引っくり返して言うならば、彼をそれほど清浄さに目ざめさせた何ものかが、――

 おそらく十数年ぶりで伊原慶雄に、あの青春期の特殊な症状である清浄な味気なさをよみがえらせた何ものかが――。(「魔群の通過」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.96-97)

 伊原がブルーフィルムの上映を頂点とする奇態な一夜に対して懐いた感情の実質とは、如何なる代物であったのか。「単なる猥褻よりももっと始末のわるい何か」とは、具体的に如何なる事象を指して吐かれた言葉なのか。「清浄な味気なさ」とは如何なる心理的状況を指し示しているのか。

 「魔群」と総称される伊原の旧友たちは、何れも現下の社会的価値観に対する「不実」を旨としている。その心理的屈折が、伊原の胸底に不快な感想を喚起していることは概ね確実であると思われる。それは単なる背徳的な遊興の齎した道徳的な嫌悪とは区別されている。馬鹿げた低俗な享楽自体が責められているのではない。非合法なブルーフィルムの鑑賞が、伊原の心に道徳的な「嘔気」を生み出しているのでもない。それよりも遥かに強烈な不快の原因とは何か。それは恐らく「魔群」たちの体現している「自分自身への不実」が培養する頽廃的な臭気であると思われる。その根底に横たわっているのはニヒリズムの病弊だろうか。時代の支配的な観念に対する抑え難い虚無的な意識、乗り超え難い不同意、そこから析出される陰惨な堕落の匂いが、伊原の倫理的な不快を煽動しているのだろうか。

「生活の苦労というものがわれわれにとってどんなものだか、その理解があなたにはまだ浅いのです。ここ二三年の私の唯一の問題は生活ということでした。みんなには簡単至極なことが、私にはどんな哲学よりも難解だったのです。しかしこの頃ようやくわかって来ました。生活するためには生活を犠牲にすればよろしい。簡単なことです。思えばわれわれの先祖たちも正直にやって来たことです」

「それなら何だってこんな陋劣な、恥知らずの稼業をやっていらっしゃるのです」――そう言う伊原はすでに半ば折れていた。煙草の灰の叩き方も静かだった。「どこかへお勤めになったらよい。及ばずながら僕も御相談に乗りましょう」

「でもね、私はそこまで落ちぶれてはいないつもりです。わたしはたとえ殺されても、何もしないでいる権利があるのです」

 このおそるべき怠け者は一瞬崇高にみえた。伊原は自分に備わっていると思われた性格らしきものを、この瞬間の蕗屋の前に再た失うのだった。彼が滑稽な従順さで言い出した。

「あなたに負けました」

 そしてその夜の宿料の前金を仕払った。(「魔群の通過」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.107-108)

 蕗屋の奇妙な論理は、何を示唆しているのか。彼は没落しても猶、経済的原理への全面的な従属を拒んでいる。「わたしはたとえ殺されても、何もしないでいる権利がある」という凄みの利いた言明は、彼が「自分自身への不実」を断じて棄却しまいと覚悟を固めていることの歴然たる反映である。彼の欺瞞的な二重性は、生半可な処世術の所産ではない。生きる為に自己を切り売りしながら、そのような自分を外在化して捨象し、徹底的に「無為」の部分を堅持しようと努めている。それは経済的原理に従属することで戦後の社会に適合している伊原には模倣し得ない独自の境涯である。「生活するためには生活を犠牲にすればよろしい」と嘯きながらも、蕗屋は断じて生活における「無為」の側面を安直に抛棄しようとは考えない。これは「魔群」の倫理であり、半ば宗教的な信条である。彼らは現代的な道徳や価値観に対する頑迷な不同意を貫いている。

 ……伊原は読みながら兇悪な目つきになった。彼は大いそぎでここ数カ月の貸借対照表を思いうかべた。彼は破綻なく行動し、肉体的にも物質的にも何らの損害を負うていなかった。魔の群はただ彼を擦過しただけであった。しかし彼の円満な良心へ羂を投げかけたこの手紙、この最後の試みは、下手をすると彼が彼自身の魂を悪魔に売り渡す端緒になり兼ねない。(「魔群の通過」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.121-122)

 要するに伊原は「魔群」たちの体現する頽廃的な屈折から距離を保とうと試みているのだ。彼は「自分自身への不実」を排斥し、戦後的な「繁栄」の理念に適合しようと周到な計算を積み重ねている。言い換えれば、伊原は「魔群」たちの骨絡みの反動的な郷愁を悉く振り払おうと努力している。彼は旧時代の廃滅を座視し、いわば「対岸の火事」のように安住の地から見送ろうとしているのだ。ブルーフィルムの上映会への招待自体が、滅びつつある旧時代の「魔群」からの誘惑に他ならない。伊原は戦後的なニヒリズムを扼殺し、健全な方法で繁栄しようと志している。焼け跡から出発する戦後的な夢想を共有しようと決意している。憐れな寺僧の溝口が「金閣」を焼き払った後に「生きよう」と呟いたように。「魔群」との戦いは、三島の内面における浪漫主義との血塗られた攻防を暗示しているように思われる。

ラディゲの死 (新潮文庫)
 

「政治」への冷笑 三島由紀夫「大臣」

 三島由紀夫の短篇小説「大臣」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。

 この小説は、所謂「政界の内幕」を活写した体裁の作品である。尤も、作者は国家の政策に関する具体的な持論を述べたり、現行の政権に対する批難や嘲罵を露わに示したりする為に、こうした舞台装置を採用している訳ではない。登場する人物への皮肉で冷笑的な筆致は、相手が政治家や官僚だから、そのような含意を孕んでいるのではなく、三島の犀利な心理的鑑識眼は、不倫に溺れる男女に対しても、定型的な幸福に安住する戦後的な若者に対しても、等しく仮借無い分析の放射線を注いでいるだけなのである。

 端的に言って、この小品は「左翼政党の内閣が瓦解した」(p.55)ことを契機として新たに選任された財務大臣と、彼を迎え入れる財務省の官僚との隠然たる相互的反目を綿密に描き、浮かび上がらせている。因みに末尾に附せられた執筆の日付(1948年11月30日)と、作中の時間的設定に関する記述(「三月はじめの沍返った京浜国道の午後八時」p.54)に基づいて推察する限り、この作品は片山内閣の総辞職及び芦田内閣の組閣という史実を踏まえて綴られていると考えられる。

 とはいえ、政界の内幕を実録的に描き出すことが作者の眼目であったとは思われない。三島が作品の執筆に際して事前の綿密な準備を怠らない作家であったことは広く知られているが、例えば昭和期の事件に取材した代表的な傑作「金閣寺」においても、蒐集された写実的な材料は、実際に起きた出来事の厳密な再現を期して用いられるのではなく、飽く迄も作者の主題を鮮明に造形する手段として改鋳され、消費されている。彼は在るがままの加工されない史料的な現実に魅惑される種類の人間であるというよりも、徹底的に書き換えられ、演出され、華麗に彩色された絢爛たる非現実的な世界に耽溺する種類の人間なのである。

 この作品における新任財務相と官僚との秘められた鞘当ては、国木田の「就任挨拶草稿」を蝶番として展開される。彼は草稿の作成を他人の手に委ねることを肯わず、自ら直筆で起草することに固執する。

 前大臣の鷹揚な『あなたまかせ』につけこんでしたい放題をしたといわれる省首脳部への面当てと、もう一つには自祝の気持から、国木田はその原稿を自分で書くことを、松方秘書官に申し渡した。彼のおどろくべき悪文は、金融界でも名うてのものだった。その文章の天真爛漫な下手さ加減が、却って彼の生れの卑しさを隠すのに役立っていた。(「大臣」『ラディゲの死』新潮文庫 p.58)

 国木田の「就任挨拶草稿」には、彼が蛇蝎の如く忌み嫌う官僚たちへの敵意と対抗心が注ぎ込まれることとなる。彼はその具体的な術策として、自分が過去に関係を持った女の名前を草稿の文面に織り込むという悪戯を仕掛ける。だが、この着想は充分に効果的で卓抜なものであると言えるだろうか? 国木田の旺盛な女性遍歴に登場する数多の人名を、彼の周辺が悉く諳んじているようにも思われない。誰も詳さに知らない女の名を忍ばせた原稿を読み上げたところで、それが官僚の暗愚な性質を傍証する根拠となり得るだろうか。

 国木田の草稿は、秘書課長の手を通じて、財務省の幹部たちによる悪意に満ちた検閲に曝される。幹部たちの首魁であり、来期の次官と目される予算局長は、国木田の草稿に仕込まれた好色な悪戯に就いては具体的に察しないが、その文面に滲む官僚への悪意自体は適切に看取する。予算局長は草稿を国木田本人に無断で訂正するという暴挙を提案し、自ら下手人の役回りを引き受けて、大臣に対する悪意に満ちた牽制を実行に移すことを画策する。

 ――清書の原稿を読み出した国木田の眉が動いた。受け口の下唇が不気味にせり出した。一二三も、秀勇も、寿美江も、桂子も、小里も、栄龍も、京子も、その演説からきれいに姿を消していた。自分の知っている美しい女はみんな死んでしまったように思われた。しかし彼のしぶとい、傲岸な若さ、古革のように岩乗に硬化した若さがよみがえった。女を張り合う勇気にひとしいものを復讐が要求した。直感で予算局長の仕業とわかっていた。(「大臣」『ラディゲの死』新潮文庫 p.69)

 草稿の文面がどのように書き換えられたのか、具体的な例示は作中の本文の裡には含まれていない。国木田が智慧を絞って草稿に織り交ぜた女たちの名が、清書の段階で丹念に抹殺されているという事実も、果たして偶然の産物なのか、それとも国木田の意図を踏まえた上で厳格に為された処理なのか、判然としない。兎に角、草稿を無断で書き直すという非礼極まりない措置が、官僚側の旺盛な敵愾心を国木田に知らしめたことは確かである。国木田は持ち前の鋭利な直感で、その首謀者が予算局長であることも見抜いている。

 草稿の改竄に激昂し、下手人を暴き立てようと試みたとしても、官僚の側が白を切ることは確実であろうし、何れにせよ、そのような見苦しい係争に費やし得るほどの余剰な時間は存在しない。本来の草稿のままに演説するとしても、恐らく原本の写しは存在せず、徹底的に書き換えられた清書の原稿から原状の恢復を図ることも困難であろう。国木田は敢て改竄された原稿を粛々と読み上げ、途中で「急進的だと評判の財務相職員組合」(p.71)に阿諛する皮肉な演説を披露することで、予算局長に対する隠然たる報復を行なう。

 それにもかかわらず、聴衆の大多数には、この多少の奇蹟を身を以て成就している恰幅のよい新大臣が、一人の風変りな煽動者アジテイタアと映るのだった。大臣の肥った首をしめつけているカラーが熱弁につれて白い蝶のように跳ね上った。下唇が唾液に濡れ、口の両はしに馬のように唾が溜っていた。彼は自ら知らずして何ものかの教義に忠実を誓っている人間のように見えた。一種の誠実、発作的な、殆ど自分でも制禦しかねる憑依現象的な誠実が、彼の血色のよいだぶだぶな顔を隈取っていた。だからこそ彼のまわりの聴衆には、神がかりの男をとりまく古代の群衆の静けさがあるのだった。(「大臣」『ラディゲの死』新潮文庫 p.72)

 国木田が夢中で「職員組合」の功績を讃美するのは、それが相対的に財務官僚の首脳陣の有する威光や権益を脅やかし、彼らの体面を毀損する効果を発揮すると思われたからである。大臣の立場でありながら、無闇に急進的な組合を賞讃する「風変りな煽動者」として、国木田は熱狂的な宗教家の風貌を帯びる。彼は無私の情熱を以て、下僚の称揚に励んでいるように見える。しかし本来の彼は、官僚という生き物が何よりも大嫌いなのだ。官僚に対する憎悪ゆえに、官僚を讃嘆する情熱的な演説を披露する。この滑稽な逆転が「大臣」という小品の白眉を成していることは明瞭である。

 作者が、こうした一連の成り行きを冷笑的に眺めていることは、作品の末尾に登場する年老いた「青江事務官」の描写によって強調されているように思われる。彼は自分の職務に忠実である余り、新たな大臣の名前すら認識していない。「閣僚の一覧表と記念写真の掲載された、明らかに今朝のとわかる新聞」に触れようともしない。只管に鉄筆でガリ版を書きながら、呪文のように数字を唱え続けるだけである。国木田と予算局長との政治的な鞘当ては、彼の身辺に如何なる風波も及ぼさないのである。或いは作者は、財務省という組織における最も強固な既存勢力は、新任の大臣の名前すら把握しようとしない筋金入りの下僚である青江事務官のような人間だと、然り気なく示唆しているのだろうか。

ラディゲの死 (新潮文庫)
 

色欲と懲罰 三島由紀夫「山羊の首」

 三島由紀夫の短篇小説「山羊の首」(『ラディゲの死』新潮文庫)に就いて書く。

 この作品の主題であり、全篇を束ねる寓意の焦点でもある「山羊の首」の反復的な登場は、太宰治の虚無的な短篇小説「トカトントン」を多くの読者に想起させるのではないだろうか。太宰の小説の語り手が「トカトントン」という金槌の幻聴を耳にする度に「虚無」という言葉では到底片付かないような、急激な意欲の阻喪に襲われるのと同じく、熟練の「女蕩し」であるダンス教師の辰三は「山羊の首」の幻像に捉えられる度に、持ち前の漁色への執拗な情熱を忽然と失ってしまう。こうした現象は容易に「金閣寺」において、語り手の寺僧が女を抱こうとする都度、俄かに顕現する完璧な「金閣」の幻影に劫掠されて、性的不能の状態に陥落するという場面を連想させる。「金閣寺」における幻影の臨在は、超越的な「美」の「イデア」(idea)によって感性的な現象界における相対的な「美」が駆逐され、無効化されるという含意を備えているが、果たして「山羊の首」は如何なる権威の介入を示唆しているのだろうか。

 その女とすごした夜の明け方ちかく、彼は夢うつつに身の毛のよだつようなものを見た。山羊の首であった。それは彼のすぐ前におり、彼と女の寝姿を、あの無意味きわまる視線でじっと見据えていた。とたんに彼には自分と女とが牛蒡の切れっぱしよりももっと無意味で滑稽なものに感じられた。夢からさめるや彼は腹立たしげに起き上り、女をほったらかしてさっさと先に帰った。(「山羊の首」『ラディゲの死』新潮文庫 p.44)

 「山羊の首」が顕れるのは決まって「一人一人の女との最初の逢瀬が万事万端済んだ頃合」(p.44)であると説明される。この厄介で不吉な幻影の登場によって、辰三と女との「媾曳」は、その後の関係の深まりを悉く阻まれ、たった一夜の情事に留まることを余儀なくされる。言い換えれば、この「山羊の首」の血腥い幻像の登場以来、辰三は今まで自ら好き好んで積極的に追求していた「漁色」の享楽を、殆ど強迫的に求めざるを得ない境遇に追い遣られてしまったのである。

 しかし彼には山羊の首を憎むことはできかねた。度重なるにつれ、彼は女を口説きながら、あとで来るであろう山羊の首をひそかに心待ちしている自分を識った。それはあの抽象的な快楽から彼を遠ざけようとする心の動きだ。なぜなら、珍種栽培家の冷淡で好事な探究慾はそうなった以上辰三にはゆるされず、どのみち現われる山羊の首という同一物への具体的な怖ろしい日常の欲求が彼をそそのかすようになったのだから。(「山羊の首」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.44-45)

 従来の辰三の女に対する享楽的な欲望は、特定の個人に対する情緒的な執着とは隔絶していた。彼は特定の女を愛しているのではなく、一般的で抽象的な概念としての「女」或いは「女」の「イデア」に惹かれてきたのである。従って不特定多数の女と次々に情事の時間を持つことは、何らかの篤実な倫理的関係、共生的な紐帯の構築を全く含意しない。それは水槽の中の取り取りの美しい熱帯魚を観賞する享楽に類似している。人間同士の対等な関係ではなく、超越的な支配者と受動的な獲物との非対称的な関係が無限に構築され、破壊されていくに過ぎない。

 「山羊の首」の臨在は、そのような抽象的概念としての「女」の渉猟を一種の義務、抗い難い至上の命令に高めてしまう。彼は望んで漁色に耽るのではなく、漁色の執行を強いられているのだ。「山羊の首」の幻影が眼裏に浮かび上がる度に、彼は広義の「不能」に囚われ、女への即物的な情熱を剥奪されてしまう。だからこそ、総ての逢瀬を一度で打ち切り、他の女へ乗り換えるという遽しい奔走を維持せざるを得ないのである。

 世間から彼に奉った女蕩しという看板にますます磨きをかけだしたかの如く見えながら、彼は今女蕩しという種族の反対側に住んでいる種族としての自分を感じた。

 ――そういう辰三の胸に漲って来た初々しいためらいを、今の彼はさして不思議なこととも思わなかった。何やらんそれは実意のあるためらいだ。

 香村夫人をだけは山羊の首の現われない場所で愛したいとねがう純潔なためらいと、この女をだけは山羊の首の出現なしに愛し了せてみせるぞという純潔な心はやりと……(「山羊の首」『ラディゲの死』新潮文庫 p.45)

 強いられた漁色が、却って辰三を純潔な精神の持ち主に仕立て上げている。この箇所における「純潔」の含意を参照する限りでは、繰り返し登場する「山羊の首」は不実な関係に対する抑圧の機能を伴っているように読み取れる。「山羊の首」に対する辰三の密かな「心待ち」は、享楽的な漁色に対する罪責感情の仄かな反映のようにも感じられる。香村夫人に対する特別な執着と「山羊の首」の幻像は、辰三に享楽的な漁色家としての実存を許さない。しかし一体、この「山羊の首」の幻像の正体は何なのだろうか?

 あれは草の上で、つやつやした白い毛を日にかがやかせて、因業な口つきで、彼と田舎娘の、彼と誰それの、……一つ一つの寝姿をじっと見詰めていた。軽蔑ならまだ耐えられる。憤りや嘲笑ならまだ耐えやすい。しかしあの目つきには耐えられない。あの山羊の何の意味もない見詰め方に出会っては、この世界で太刀討できる人間があろうとも思われない。あの目つきで見つめられたら最後、人間の幸福も希望も愛情も、迅速で巧妙な殺人のように、即座に消し去られてしまうのである。と謂って殺された山羊の口もとに悪意の翳さえないことがいよいよ救われない。……(「山羊の首」『ラディゲの死』新潮文庫 p.50)

 「山羊の何の意味もない見詰め方」は、武田泰淳の小説「異形の者」で描かれる釈迦如来の仏像の「眼」を想起させる。「山羊の首」の虚無的な視線は、必ずしも道徳的な罪責の観念を齎すものではない。それは辰三の享楽的な漁色の行為を「軽蔑」したり「嘲笑」したりする人間的な感情の動きを聊かも含んでいない。厳密に言えば「山羊の首」の放つ視線は「人間の幸福も希望も愛情も」悉く抹殺し、無効化するのである。そうであるならば、辰三が「山羊の首」に対して懐く恐懼のような感情は、道徳的な後ろ暗さの比喩的な幻想ではない。辰三が「山羊の首」に見出すのは、如何なる人間的な感情や思考のアナロジーにも該当しない、徹底的な無意味さなのである。それが彼を幻滅させ、虚無的な境地へ追い遣り、一時的な「不能者」へ仕立て上げてしまう。しかも、彼を「不能者」に作り変える強烈な放射線の如き「山羊の首」の視線は、最低限の「悪意」さえも超越している。

 あたりの草は血に汚れていた。が、年老いた山羊の首は清浄で威厳に満ち、深い眼の色で辰三と田舎娘の寝姿を見詰めていた。それはそしるような眼差ではなかった。審く者の眼色に近いかはしれなかった。しかし審く者の眼差にしては、その目が湛えている暗さは濃すぎるように思われた。(「山羊の首」『ラディゲの死』新潮文庫 p.43)

 この箇所でも「山羊の首」の視線が「批難」や「断罪」といった懲罰的で倫理的なニュアンスを含んでいないことが強調されている。「その目が湛えている暗さは濃すぎるように思われた」とは如何なる意味を含んだ表現だろうか? この記述を裏返せば、仮に「山羊の首」が「審く者」の比喩的幻想であるなら、その「眼色」はもっと明るく輝いていなければ辻褄が合わないと言っているように読める。つまり、明瞭な正義の基準に照らして他者を審判する者の「眼色」には、秋霜烈日の光輝に鎧われた、聊か陶酔的な確信の明るさが反映しているべきだと考えられるのである。

 「山羊の首」が「審く者」でも「謗る者」でもないとしたら、それは一体「何者」なのか? この「山羊の首」の登場する時機が「敗戦」の直前に置かれていることは、何らかの暗合を示唆していると考えるべきだろうか? 徴用された少年たちに盗み出され殺された「山羊の首」は、敗残した者、あらゆる栄光から見限られ、空無に帰せられた者の象徴的な表象なのだろうか? その幻影は、辰三を一つの「虚無」へ絶えず回帰させる。如何なる収穫も歓喜も贋物の浮薄な感情に過ぎないと気付かせる、乾燥した「山羊の首」の啓示は、空前絶後の巨大な「敗戦」が齎した甚大な「虚無」の衝撃の裡へ、辰三を常に引き戻すのだろうか?

 「戦争」という主題が、三島由紀夫の文業を隅々まで支配する重要な成分であり要素であることは、夥しく遺された他の作品を徴しても判然としている。有名な「金閣寺」において、寺僧の溝口は「敗戦」を忌まわしい「仏教的時間の復活」と捉えて露骨に呪詛している。三島の作品は「戦後」という特殊な時代の変遷と密接に同期し、多彩な様相を描いてみせた。「敗戦」は、三島の「夭折」に対する浪漫主義的な情熱を完膚なきまでに破砕し、荒廃した退屈な「日常性」の復権を告示した。この「山羊の首」という作品もまた、そうした「戦後」という時代的特質と切り離して評釈する訳にはいかない。

 「辰三のような男にとっては戦争は映画館の幕間みたいなものにすぎなかった」(p.43)という冷笑的な但書が事実であるとしても、少なくとも彼は「戦前」の自分自身には戻れなかったに違いない。何故なら、彼は「敗戦」の差し迫った横須賀の「五月の明るい高草の中で」女と戯れながら、あの「山羊の首」に邂逅してしまったからだ。享楽的な生活の態度が改まることはなかったとしても、少なくとも「山羊の首」を知る以前の自分に「戦後」の辰三が完璧な仕方で合致し、復帰することは不可能だった筈である。言い換えれば「敗戦」を通過した後の辰三は、即自的な享楽に安住する能力を喪失してしまったのだ。彼は昔のように「抽象的な快楽」を夢中で愉しむことが出来ない。だが、その決定的で不可逆的な変質は何故、齎されたのか?

 かほどに幼々ういういしいためらいが胸に漲っていることはいつもの辰三にはないことだった。それというのが、彼が田舎から出て来て堅気一方の二十歳のころ、書生をしていた家の夫人に香村夫人は似ていたからだ。(「山羊の首」『ラディゲの死』新潮文庫 p.41)

 この記述だけを信じるならば、辰三の香村夫人に対する特別な執着は、青春期の純潔な恋心への郷愁の反映に過ぎないように思われる。彼は既に無差別的な「漁色」の享楽に安住する能力を「山羊の首」によって奪われている。それならば、彼が「香村夫人をだけは山羊の首の現われない場所で愛したいとねがう」のは、要するに「山羊の首」の顕現する以前の世界へ回帰したいという願望の反映ではないのか。傍目には、辰三は戦前と変わらぬ軽薄な「女蕩し」の生活を堅持しているように見える。しかし彼が香村夫人を口説こうとして駆使する技巧が「女蕩し」の修練の所産であるとしても、その技巧を稼働させる根本的な情熱の性質は「女蕩し」の特性の対極に位置するものである。

「あなたその山羊の顔をこちらから見詰めて?」

「いいや」

「見詰められて脅えていただけなの?」

「まあそうだ」

「可愛いいところがあるのね、先生ったら。こっちから見詰めてやれば山羊の首なんて忽ち消えてなくなるのよ」

「そんなものかしら」

「こんな風に……」

 睡たそうな情のある眼が、辰三の眼の先二三寸のところで暗い瞳のひろがりを示した。暗い甘いものがいちめんに滲み出すような瞳であった。

「こちらを見詰めてごらんなさい」

 辰三が言われたようにすると、突然瞼がやわらかに下って来て、美しい睫の影をえがいた顔が彼の胸に雪崩れかかった。

「君が好きだ。こんな好きな人は知らない。君と寝てもし山羊の首を見るようだったら私はもう生きてはいないよ」

 女蕩しはそんなことを言った。

 香村夫人はそれでもまだ語調は端麗に、わずかな崩れも見せない言葉で言った。

莫迦なこと仰言い。夢は人に言ってしまったらもう見ないものです。あなたはこれから山羊の首なんか決してごらんにはなりません」(「山羊の首」『ラディゲの死』新潮文庫 pp.50-51)

 香村夫人は辰三に「山羊の首」の幻影が齎す抑圧を免かれる為の方途を示唆する。「山羊の首」の視線に射竦められるという受動的な立場を脱却して、此方から能動的に「山羊の首」を見凝め返せば、そのような幻影は消滅すると彼女は宣告する。しかし、その根拠は何なのか? 彼女が辰三の苦悩を「戯言」と捉え、冗談と媚態によって報いたに過ぎないのであれば、彼女の訓誡に積極的な意味を読み取ることは難しいだろう。しかし、彼女は「わずかな崩れも見せない言葉」を用いて確信的に「あなたはこれから山羊の首なんか決してごらんにはなりません」と断定する。この確信は、如何なる論理に基づいて形成されているのだろうか。論理的に考えて、香村夫人が「山羊の首」を消滅させる方法を断定し得るとすれば、彼女は辰三よりも高い次元で「山羊の首」の性質や構造を知悉していなければならない。しかし、彼女が辰三から聞かされる以前に「山羊の首」に就いて何らかの情報を把握していたと看做し得る記述は、作中には含まれていない。彼女は単なる出任せを口にしたのだろうか?

 ――この聡明たぐいない、啓示の力をさえ持っているかと疑われた女の予言は的中した。彼ははじめて山羊の首なしに迎える女との朝を知った。「女との」という言い方が正確さを欠くなら、訂正の必要がある。なぜなら曇り日の海の遠い反映が投げかける正午に近い鉛いろの光線に彼は目ざめて、(彼がこんなに寝坊をしたことは嘗てなかった)香村夫人がもう寝床にいないのを見出した。バス・ルームをあけてみた。いなかった。ボオイを呼ぶと、朝早く散歩に出たとのことだった。彼はぶつぶつ言いながら一人の午餐をとりに食堂へ下りるために、上着を着ようとして、その内かくしから、彼の全財産――万事を放擲して滞在する心宛てに携えて来た全財産――が、失くなっているのに気づいた。

 彼は一日中何もたべずに寝台に腰かけたままぼんやりしていた。香村夫人はかえって来なかった。彼女の寝ていたところには白粉や香料の匂いにまじって、かすかな山羊の匂いが漂っていた。(「山羊の首」『ラディゲの死』新潮文庫 p.52)

 この記述は明らかに香村夫人が「山羊」であった可能性を示唆している。しかし、その迂遠な示唆は如何なる具体的内実を規定していると言えるだろうか。香村夫人を「山羊」の化身と定義してみたところで、評釈の水準が深まるとは思われない。だが、香村夫人と「山羊の首」との間に何らかの関係性が存在すること自体は否定し難い。辰三が香村夫人との情事において「山羊の首」の虚無的な視線に遭遇しなかったこと、香村夫人が「山羊の首」を消滅させる方法の一環として、自分の顔を見凝めるように辰三に指示したこと、これらの記述を綜合すると、香村夫人が「山羊」であることは明瞭な事実であるように考えられる。だが、香村夫人が「山羊」であるという命題を、そのまま物理的に解釈することは出来ない。

 そもそも、何故「山羊」は殺された状態で辰三の脳裡へ顕れたのだろうか? 無論、その幻影の淵源が、敗戦の直前に彼が目撃した「山羊の首」である以上、彼が殺された「山羊」の幻影に苛まれるのは自然なことのように思われる。けれども殺された「山羊の首」を見たという事実と、彼を苛む幻影が殺された「山羊の首」であるという事実は、必ずしも強力に連結されている訳ではない。彼が生きた「山羊の首」を、或いは胴体を備えた「山羊」を幻視することも充分に有り得たからである。言い換えれば、殺された「山羊の首」の幻影は、何かが虐げられ毀損された状態を暗示しているのではないか。「緑の夏草と血と白い神々しい山羊の首との何か寓意画めいた印象」(p.43)は、何らかの価値が毀損され、失われた状態に置かれていることを告示しているのではないか。

 古代ギリシア及びローマの神話的伝承に登場する山羊の神である「牧羊神」(pan,faunus)は、男性的な性欲の象徴と看做され、その「陰茎=ファルス」(phallus)は誇張して描かれることが多い。仮に「山羊」を「色欲」の暗喩と看做すならば、殺された「山羊の首」の幻影が「不能」を齎すという説話論的な構造は理に適っているように見える。「山羊の首」は「抑圧された色欲」の寓意画であると看做し得るのだ。では、香村夫人の残り香に「かすかな山羊の匂い」(p.52)が含まれているのは、端的に言って「色欲」の暗示であると言えるのだろうか。そうであるとするならば、要するに辰三は香村夫人との情事を通じて「色欲の抑圧」即ち「不能」からの恢復を遂げたことになる。「山羊の首」が顕現する以前の世界へ回帰したいという欲望は、言い換えれば「山羊」が殺戮される以前の世界へ回帰したいという意味である。だが、そもそも何故「山羊」は殺害されたのか?

ラディゲの死 (新潮文庫)
 

 

納富信留「ソフィストとは誰か?」に関する覚書 2

 納富信留の『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)に就いて書く。

 「哲学者」という独特の観念は、師父ソクラテスの特権的な聖別を企図したプラトンによって、数多のソフィストたちの思想的範型の渾沌たる集合から、精密な論理的検証を通じて析出された画期的な発明であると考えられる。一般に「哲学」の開創は、非業の刑死を遂げたソクラテスによって実現されたと信じられているが、ソクラテス自身が「哲学者」という実存的様態に特別な自負を懐いていたかどうかは必ずしも分明ではない。生前のプラトンが師父ソクラテスに対して懐いていた感情の在処を精密に解析することなど、今や誰にも不可能だろう。恐らく古代ギリシア都市国家アテナイにおいて、ソクラテスは明瞭に「ソフィスト」の一員であると看做されていたに違いない。けれども、プラトンは師父の存在を数多のソフィストとは異質な固有性の下に眺めていた。それは単に歴史的に形成された主観的な偏見、局所的な信仰、つまり依怙贔屓の帰結に過ぎないのだろうか。

 代表的なソフィストとして知られるプロタゴラスは自ら「徳の教師」を名乗り、報酬と引き換えに弁論の技術を教授して生計を立てたと伝承されている。この場合の「徳=アレテー」(arete)という概念は人柄の道徳的な良し悪しを指すものではなく、具体的には「弁論の能力」という意味である。デモクラシーと訴訟の発達した当時のアテナイでは、銘々の弁論の才覚が人生の命運を左右する重要な役割を担っており、それゆえに弁論術の心得が人間の「卓越性」と緊密に結び付けられて解釈されたのだろう。政治家としての栄達も、市民社会における安定的な幸福も、偏に弁論の良し悪しで決せられていたのだから、冷静に考えれば「巧言令色」が堂々たる美徳として闊歩する奇態な社会である。

 弁論術の主眼は「説得」の成否の裡に存する。聴衆を理智的に納得させ、感情的に掌握することが、優れた政治家としての声価を勝ち得る為にも、法廷に立って自己の利益を防衛する為にも、不可欠な手続きとして切実に要請される。それゆえにソフィストたちは相互に競い合って弁論の技術を錬磨し、鍛え抜いた技巧を有償で市民に教えることで巨利を貪ろうと躍起になった。自己の特色の宣伝にも、新たな弟子の獲得にも、彼らの華麗な「巧言令色」は極めて有用な働きを示したであろうと推察される。

 こうした人々を典型的なソフィストであると看做すのならば、プラトンの遺した初期の対話篇に記録されているソクラテスの言行は聊か異色であると言える。彼の生活や思惟は、金銭を受領する代わりに何らかの有益な知識を教授するというソフィストの職業的な範型に合致していない。尚且つ彼は「不知の知」という理念に立脚し、自らの弁論を「助産」の技術に譬えて、専ら他者の並べ立てる様々な論理の欠陥を鋭く剔抉し、超克し難い「アポリア」(aporia)へ追い込む作業に没頭した。「真理」は神の掌中に独占的に握られており、人間が神に代わって「真理」を語ることなど出来ないというソクラテスの規範は、森羅万象に就いて滔々と「真理」を弁じてみせるソフィストたちの傲慢で軽率な姿勢とは一線を画している。言い換えれば、ソクラテスはあらゆる種類の「真理」に附随する疑わしさを可視化することに生涯を費やしたのである。

 「アポリアの弁論家」としてのソクラテスは、絶対的で恒久的な「真理」の実在を声高に訴え続けたプラトンの思想とは相容れないように見える。例えば「パイドン」に登場するソクラテスは、他者の学説をアポリアへ陥れる代わりに、確信に満ちた口調で聊か神話的な教義を陳述してみせる。それは如何なる学説の裡にも何らかの欠陥や脆弱性を発見するアポリア的なソクラテスの姿とは明確に異質である。普遍的な実相としての「イデア」(idea)を信奉するプラトンとは反対に、アポリア的なソクラテス懐疑論的な検証と分析を旨としている。彼は自らの思想を肯定的な仕方で明示する代わりに、他者の議論の瑕疵を摘出することに専念する。職業的な特性において一般的なソフィストの範疇に収まらないとしても、こうしたアポリア的なソクラテスの言行は明らかに、プラトンの構想した精緻な演繹的独断論に対立する点で、極めてソフィスト的な思惟の産物であると言えるのではないだろうか。

 但し、後期対話篇に登場するソクラテスが、プラトンに固有の思想を代弁する傀儡の役割を担っていることが仮に事実であるとしても、少なくともプラトンが師父ソクラテスの言行の裡に、凡百のソフィストたちとは根本的に異質な要素を認め、そこに重要な革命的意義を見出していたことは確かであるように思われる。尤も、このプラトンの着眼点は誰にとっても自明な差異であったとは言い難く、市井の人々がソクラテスの振舞いを評して、口さがない理窟ばかり弄して他者の論旨の破綻を難詰する不快な人間であると看做したとしても不思議ではない。優れた弁論術の技巧を富裕な家庭の子弟に教授して高い報酬と社会的威信を得ていたプロタゴラスゴルギアスと比しても、貧しい身なりで街衢を彷徨し、誰彼構わず問答を吹っ掛けて公衆の面前で相手を論破するソクラテスは一層、市民から軽蔑される存在であったかも知れない。しかし、そのようなソクラテスを他のソフィストから聖別して特権的な存在として昇華する為に、プラトンは飽くなき情熱を以て、精密な論証を積み重ね、新たに「哲学者」という称号を師父の為に発明したのである。

 プラトンソフィストたちの弄する「弁論術」と、ソクラテスの駆使した「問答法」とを明確に峻別する。ソフィストは他者の「説得」の成否に至上の価値を置き、自らの言論が普遍的な「真理」に値するかどうかを厳密に考慮しない。彼らは聴衆の理智を納得させ、その感情を揺さ振ることに成功しさえすれば、充分に満足し得る人種なのである。こうしたソフィストの特徴を、プラトンは「迎合」と呼んで手厳しく糾弾した。他方、ソクラテスの用いた「問答法」は相手の歓心を購うことよりも、共同の探究を通じて絶対的な「真理」に到達することを主旨としていた。事実、ソクラテスに問答を挑まれた多くの人々が、彼の容赦を知らない苛烈な論理的追究に憤激したと古伝は告げている。衆人環視の下で己の無智と不明を曝露され、侮辱されたと感じた人々が、ソクラテスに対して通俗的な怨恨を懐くのは自然な心境であろう。しかも、相手の論理の瑕疵を仮借無く暴き立てておきながら、自らに固有の明瞭な学説を語らず、専ら「不知の知」を標榜して「真理」の内実を神的な不可知の領域へ安置して憚らなかったソクラテスに、市民が職業的な尊敬を捧げることは稀であったに違いない。

 しかし、プラトンの視野によって濾過されたソクラテスは、逆説的な変貌を遂げて顕れる。彼は他者に迎合せず、普遍的な「真理」に殉じることを選んだ廉潔な人物であり、数多のソフィストのように金銭的報酬と社会的栄誉の為に「真理」を軽んじるような愚を犯さなかった。彼こそ真の意味で「知を愛する者」であり、他者を欺き誑かす巧妙な話術よりも、対話を通じて共通の「真理」へ至ろうとする誠実な弁証を重んじた偉大な智者であった。但し、厳密に言えばソクラテスにとって「真理」とは「無記」の対象であったのではないか。それは人間の知性を超越した認識であり、従って如何なる「問答」によっても到達し得ない不可侵の領域に属していると看做されたのではないか。プラトンの「転向」は、そのようなソクラテスの知性的な禁欲主義からの離脱を以て出発の号砲とする。彼は絶対的な「イデア」(idea)の実在を積極的に語り、地上におけるその「分有」と「臨在」を説いた。そして理性に特権的な価値を与え、理智を通じてのみ人間は絶対的な「真理」を把握することが出来ると声高に喧伝した。それは師父ソクラテスの実像からの逸脱を意味する。そこから、壮麗な伽藍としての哲学的体系が胚胎したのである。

ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)

ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)

  • 作者:納富 信留
  • 発売日: 2015/02/09
  • メディア: 文庫
 

納富信留「ソフィストとは誰か?」に関する覚書 1

 納富信留の『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)に就いて書く。

 古代ギリシアの哲学者プラトンに関して、日本を代表する高名な研究者である納富氏が、本書において展開している古代哲学史に就いての緻密な考究の方針は、柄谷行人氏が『哲学の起源』(岩波現代文庫)で実践した思想的戦略と通底する意図を含んでいるように思われる。ソクラテスプラトンアリストテレスの学統を規範的な権威として称揚する古来の思想史に対峙しながら、柄谷氏はイオニアの自然哲学の系譜へ遡行することによって、その根深い伝統的構図の改訂を試みている。プラトンの遺した夥しい対話篇が作り上げたソクラテスの特権的なイメージ、即ちソクラテスを「哲学」の開祖と看做す歴史的な視野の構築によって抑圧された思想家たちの系譜を救済すること、それによって旧来の哲学史における堅牢な偏見を破砕し、新たな可能性を創出すること、こうした挑戦的な企図は、納富氏の著作の裡にも明瞭に見出されるように思われる。柄谷氏がアテナイの哲学との対決に際して、イオニアの自然哲学を駆り出したのに対し、納富氏はソクラテスプラトンと時代的に並行する数多の「ソフィスト」たちに白羽の矢を立てた。

 とはいえ、この戦略の実行を通じて古来の伝統的な哲学史における主要なパースペクティブを転覆することは必ずしも容易な作業ではない。中国の春秋戦国時代における「諸子百家」に比せられるように、最盛期のアテナイで活躍した夥しい数のソフィストたちは、何らかの共通の思想を相互に分有していた訳でもなく、彼らの主義主張が巨大な一枚岩を成していた訳でもない。往時のソフィストたちは銘々に固有の思想と得意な学術的分野を持ち、優れた弁論の技術を駆使して数多の信奉者を個別に引き連れていた。「ソフィスト」という概念に単一的な定義を賦与することは、無数の実際的な困難を伴う営為なのである。

 プラトンアリストテレスによって企図され、強力に推進されたソクラテスの聖化は、イオニアの自然哲学に対する抑圧と共に、ソクラテスと時代的に並行する有力なソフィストたちへの峻厳な抑圧を礎として行われた。言い換えれば、当時のギリシア社会の通念に照らせば、紛れもないソフィストの一員であるところのソクラテスを、凡百の思想家の群れから「哲学者」としてサルベージすること、それがプラトンの構築した狡猾な戦略であり、彼の手で綴られた数多の対話篇は悉く、この目論見を強化し支援する役目を担っている。

 「真の哲学」と「贋の哲学」とを区別すること、本物と紛い物との厳密な線引きを行なった上で、一方的な優越性を論証すること、これはプラトンの思想的戦略における常套手段である。この手法は彼の思想そのものの基底を形作る根幹的な手続きであり、彼の対話篇に登場する仮想的なソクラテスは常に、こうした二元論的な「分割」の論理を徹底的に濫用している。「真贋」の境界線を明示した上で、相手が「贋」の領域に属していることを精緻な論証を通じて揺るぎない事実に高めていくプラトンの方法は、著名な「イデア」(idea)に関する学説や、古典的な霊肉二元論(それ自体はプラトンの独創ではない)の裡にも明瞭に刻み込まれ、思惟の枢要を成している。

 言い換えれば「哲学」という学術的領野は、ソクラテスを凡百のソフィストや旧来の自然哲学の系譜から峻別し、特権的な存在として聖別するプラトンの偏執的な情熱と弛まぬ精励を通じて創出され、歴史的に形成されたものなのである。単に知を愛することが、直ちに「哲学」という方法を指し示す訳ではないし、そもそも「哲学」という営為が、地理的=歴史的な制約を離れた普遍的で恒常的な思惟の様式であると信じることは、一義的に妥当な判断であるとは言い切れない。けれども、プラトンソクラテスの思想を普遍的で恒常的な「真理」の開示として物語ることを、自らの終生の使命として堅持し続けた。

 プラトンは厳密な「真理」の論証を、本来的な「哲学者」の取り組むべき課題として称揚し、単に説得の可否を以て論証の真贋を判定するソフィストたちの迎合的な「弁論術」を厳しく糾弾した。しかし、そのような糾弾が常に正当で公平なものであったと素朴に信じ込むことは可能だろうか。また、そのような「哲学者」の象徴として祀り上げられたソクラテスの「虚像」が、その歴史的な実像と完璧に照応していたと考えるのは適切な判断だろうか。プラトンソフィストの特徴を「智者であるように見せかけながら、実際には智者ではない」という命題に要約する。初期の対話篇を通じて描かれるソクラテスの「問答」(dialektike)は、何らかの明示的な知識を提出する代わりに、専ら相手の「無智」を浮き彫りにするという「アポリア」(aporia)の範型を遵守している。その意味では、ソクラテスソフィストたちの欺瞞的な知性の脆弱さを曝露する弁論家として定義されるべきだろう。しかし、これは後年のプラトンが到達した「哲学者」の理想的な範型と精確に重なり合うと言えるだろうか。「イデア」や「想起」に就いて滔々と論じる仮想的なソクラテスの姿は、初期の対話篇に登場する「アポリア」の弁論家としてのソクラテスとは明らかに異質である。寧ろ「自分は真実に就いて何も知らない」と前置きしながら、精緻な論証を積み重ねて相手の学説を自滅的な破綻へ追い込むソクラテスの人の悪い手口は、正にソフィストの典型的な様態ではないだろうか。

 ソフィストを否定し、ソクラテスを聖別するプラトンの戦略は、多様な可能性を孕んでいた古代ギリシアの思想に排他的な純化を施すものである。それならば、闇に葬られた往古のソフィストたちの思想を検証し、正当な復権へ導くことは、古代ギリシアの思想に対して加えられたプラトンの強力な検閲を解除し、埋蔵された知的な資産を奪還して、新たな可能性を開拓することに等しい。それは同時に、プラトンによって濾過され変造されたソクラテスの歴史的な実像を恢復することにも帰着するだろう。

ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)

ソフィストとは誰か? (ちくま学芸文庫)

  • 作者:納富 信留
  • 発売日: 2015/02/09
  • メディア: 文庫