サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

恋愛の残酷な側面 レイモン・ラディゲ「肉体の悪魔」

 レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』(光文社古典新訳文庫)を読了したので、備忘の為に簡潔な感想を記しておきたい。

 ラディゲの仮借無い筆法が描き出す不倫の恋は、少しも甘ったれた感傷が滲んでいない。無論、描き出される登場人物の行動や感情の裡には、現実から乖離した身勝手なセンチメンタリズムが幾らでも瞥見されるのだが、それを描写する作者の語りは、語り手と登場人物が一致しているという説話論的な構造にも拘らず、極めて酷薄で、外科医のメスのように腑分けに夢中なのだ。

 作者は不倫の恋愛に美しい感傷の糖衣を纏わせようとしていない。ラディゲを愛読した三島由紀夫は、例えば「憂国」のように、死と性愛との密接な融合を露骨に示した作品を著したが、この「肉体の悪魔」の作者は、そのようなタナトスの昂揚にも然したる関心を有していないように感じられる。「心中」という美学をラディゲが愛していないことは、作品を読めば自ずと感受される事実であろう。死によって永遠の壮麗な剝製と化す、という発想は、ラディゲの欲望の主たる対象ではないのだ。寧ろ彼の犀利な筆鋒は、そんなロマンティシズムが骸骨に過ぎないことを淡々と見切っているように思われる。死後の神話に期待することで今生の儘ならぬ恋路を特権化しようとする企図は、この作者の本意ではない。彼は単に、徹底された心理的外科医の職分に異様な忠誠を誓っているのである。読者は、身も蓋もないラディゲの神懸かり的な解剖の手腕に眩惑され、不倫という恋愛が、その甘美な幻想的性質を残らず剥ぎ取られた後の無惨な実相を目の当たりにするだろう。どんなに真摯な愛情も、不倫という背徳的行為が不可避的に抱え込んでいる悪徳の弊害を超克したり解毒したりすることは出来ない。社会的敗残だけが、その末路には相応しいのである。若しも不倫を純愛にまで高める覚悟ならば、当該の男女は相互の愛情以外の一切合切を棄却せねばならないが、この「肉体の悪魔」には、そうした地獄の境涯を土壇場で回避しようとする男の脆弱な心根も余さず描かれている。この作品は死に至るまでの純愛を描いているのではなく、そのような純愛が如何に脆弱であるか、愛のない婚姻と比べても非常に脆弱であるかということを、読者に向けて懇切丁寧に縷説しているのである。

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)