サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

無責任な愛情の惨劇 バンジャマン・コンスタン「アドルフ」

 フランス心理小説の最高峰の一つに挙げられるバンジャマン・コンスタンの『アドルフ』(光文社古典新訳文庫)を読了した。

 男女の恋愛を巡って湧き起こる数多の諍いと悲劇を、複雑で稠密な心理的抗争として描き出した本作は、慄然とするほど陰惨な幕切れで、恰かも呪詛と怨念の書物のように読者の心に痣を刻む。この作品で描かれた物語の悲劇性は、二つの要素に大別されるだろう。一つは、愛していない他者から熱烈な愛情を捧げられることの苦痛と不幸。もう一つは、己の無責任な愛情で他者の魂を呪縛した為に、相手を極限の不幸へ陥れる事態に帰結してしまった罪人の不幸。

 わたしは愛に満たされる反面、後悔に引き裂かれた。そこまで揺るぎない、そこまで優しい愛情に代わるなにかを、自分のうちに見つけられたらいいのに、と思った。そこでわたしは手掛かりを求めて記憶や想像、まさに理性や義務感にさえすがりつくのだった。なんとむなしい努力だろう! 境遇の厳しさや、かならず別れることになるという確信、こちらからは絶つことのできない束縛に対する反発のようなものが、わたしをうちから蝕む。わたしは自分の薄情さを責め、それをごまかそうと努力する。彼女がそれほどまでに必要としている愛を信じきれない様子でいるとき、わたしはひどくつらかった。しかし信じきっている様子のときでも、つらさは変わらなかった。彼女は自分より善良な人間なのだと感じる。自分などは彼女にふさわしくないと思う。愛しているのに、愛されないのは、ひどく不幸だ。しかし、もう愛していないのに、情熱的に愛されるのも、れっきとした不幸なのだ。もしエレノールが、わたしがいなくても幸せになれるのなら、わたしは危険にさらしたばかりのこの命を何度だって捨てただろう。(『アドルフ』光文社古典新訳文庫 pp.76-77)

 此方は最早相手を愛していないにも拘らず、先方から劇しい愛情を捧げられ、あまつさえストーキング紛いの執着を示されることの不幸は、確かに一つの残酷な悲劇を齎すだろう。けれども「アドルフ」における陰惨な読後感は、エレノールの異様な愛情の齎す悲劇だけに喚起されているのではない。重要なのは、そもそも彼女の心の裡に愛情の種子を蒔き、それを極限まで繁茂させたのはアドルフの行為であるという事実だ。エレノールを伯爵との離別に追い込み、代わりに二人だけの幸福な生活を彼女に夢見させたのは、アドルフが示した熱狂的な恋情である。彼はエレノールの平穏な日常を、自分自身の恋の情熱によって破綻させておきながら、その責任を引き受けることに堪え難い苦痛を覚えたのである。しかも彼は、愛の責任を引き受けることが自分には困難であると自覚しながら、きちんとエレノールとの関係を清算し、二人の永久的な未来を彼女に断念させる峻厳な勇気と決意さえ持たず、問題の解決を何度も先送りして、最終的には最も残酷な心理的衝撃を恋人に与え、死に追い遣った。

 これらの惨劇は、恋愛という不可解な情熱の生起する場所では、聊かも珍しくない普遍的な性質を伴って顕れる。二人の堅固な未来を希求するエレノールの執着も、彼女を苦しめるような決断に踏み切ることが出来ないアドルフの優柔不断も、共に恋愛という情熱に付き物の「弱さ」であると言えるだろう。特定の異性に対する過度な執着が、彼らの理性を麻痺させ、視野を狭窄させ、適切な判断を狂わせる。その累積が、エレノールの衰弱死という残酷な結末を惹起する訳だが、こうした認識の歪みは多かれ少なかれ恋愛においては避け難い暗愚な現象である。アドルフは単に冷酷な男であった訳ではない。本当に冷酷な人物であるならば、もっと早い段階でエレノールとの関係を絶ち切る決断に傾くことが出来ただろう。それを為し得ない彼の脆弱な精神もまた、恋愛の齎す症状の一環である。言い換えれば、彼らは「正しい愛」に恵まれなかったのだ。愛情が社会的な道徳や、愛情以外の様々な領域における正義と、適切な仕方で合致するならば、愛情は幸福の同義語で有り得る。しかし、社会的正義の規矩に当て嵌まらず、多くの他者に害悪を撒き散らす形で営まれる愛情は、驚愕すべき無際限な不幸を魂の裡に流し込むのである。少なくとも、エレノールとアドルフの関係においては、恋愛の情熱は堪え難い悲惨の要因としてのみ機能している。それは世俗的な幸福を形成する代わりに、社会との軋轢の写し絵のような抗争を、彼らの関係の内部に持ち込むのだ。

 アドルフの非道は、エレノールに衰弱死という惨たらしい末路を与えた。そしてエレノールが遺した一通の手紙は、生き永らえたアドルフの未来に陰鬱な呪詛を投じた。あの手紙の文面は紛れもない呪詛、紛れもない怨嗟の蒸留された形態である。この小説は、あらゆる不幸な恋愛に投与されるべき劇薬の効能を備えている。愛に殉じる生き方は、一見すると崇高な後光に護られているように感じられる。しかし、愛に殉じる為には、我々は理性の正当な働きを停止させるという危険な措置に踏み切らねばならない。時に愛は、ウロボロスのように己の尻尾を咬み砕く。愛が愛を滅ぼすという解き難い矛盾が、この地上では大して珍しくもないのである。何という厄介な世界だろうか。

アドルフ (光文社古典新訳文庫)

アドルフ (光文社古典新訳文庫)