魂の闇、肉体の光 三島由紀夫「火山の休暇」
三島由紀夫の短篇小説「火山の休暇」(『岬にての物語』新潮文庫)に就いて書く。
「芸術」と「生活」との間に生じる乖離は、言い換えれば「認識」と「行為」との疎隔であり、矛盾である。この二元論的な図式は、プラトニックな意味での「実相」と「仮象」との不整合を雛型としている。もっと抽象的な表現を用いるならば「絶対」と「相対」の相違ということになるだろう。
人が当然その年になってとおりかかる峠へ来て、彼は芸術と生活との、一種いいしれぬ乖離にぶつかった。小ざかしくも次郎は「書く人」の立場に身を置いた。表現ということは生に対する一つの特権であると共に生に於ける一つの放棄に他ならぬこと、言葉をもつことは生に対する
負目 のあらわれであり同時に生への復讐でもありうること、肉体の美しさに対して精神の本質的な醜さは言葉の美のみがこれを償いうること、言葉は精神の肉体への郷愁であること、肉体の美のうつろいやすさにいつか言葉の美の永遠性が打ち克とうとする欲望こそ表現の欲望であること、……こうしたさまざまな判断を次郎は事もなげに採集した。彼は肉体を鍛えるように言葉を鍛えた。文体に意を須 い、それが希臘 彫刻の的確な線に似ることを念願とした。(「火山の休暇」『岬にての物語』新潮文庫 p.151)
「精神=肉体」「芸術=生活」「認識=行為」「実相=仮象」といった対比は、三島の生涯を貫く基礎的な主題である。彼は絶えず超越的価値に憧れながら、一方では現象的な世界への参与を熱烈に祈願した。何れかに偏することで満足が得られるならば、人は態々「表現」という奇態な営為に手を染めようとは考えないだろう。若しも「認識」の世界に蟄居することが可能ならば、彼は感性的な現実から離陸して、壮麗な「想像」の領域を遊泳し続ける人生を営めるだろう。若しも「行為」の世界に埋没することが可能ならば、究極的な理想に振り回されず、瞬間的な現実に耽溺する生活が送れるだろう。恐らく芸術的な「表現」は本来、これら両極の媒介を担う手段であり、現象的な実存を仮構する「模倣」或いは「演技」としての性質を帯びている。尤も、それは「行為」の端的な模写を意味するものではない。
古代彫刻の青年像に見られる額から鼻へかけてのなだらかな流線は、自然そのままの模写ではない。いわばそれは自然がわれわれにむかって約束している美の具現である。本当の意味での創造である。すべての自然のなかには創造されたいという意志、深い祈念をこめた叫びがある。これを聞きわけることは芸術家が生に対してもつ大きな任務であり、肉体の錬磨につとめた古代希臘の青年の心ばえにも通うものであるように思われた。そしてこれこそは創造と批評とが微妙に結ばれ合う一点なのである。(「火山の休暇」『岬にての物語』新潮文庫 p.152)
作中人物の口を借りて三島が縷説する「表現」に就いての定義は、明らかにプラトニックな「超越性」の理念に支配されている。芸術的表現は、現象的な事実を超越的な理念に基づいて編輯し、再構成する手続きであると目される。芸術的な野心は、眼前の不本意な現実を理想的な現実に置換することを求める。「創造されたいという意志、深い祈念をこめた叫び」とは要するに、該当する事物の「本質」であり「実相」のことだ。この場合の「実相」という言葉は無論、プラトニックに解釈されなければならない。つまり「理想的状態」こそが「実相」であるという論理的様式を理解しておかなければならない。「身も蓋もない現実」のことを事物の「実相=本質」と看做すのは、プラトニズムではなくタブロイドの発想である。
「表現」の源泉には「身も蓋もない現実」への絶望が滞留している。その絶望を具体的な行動によって突破しようと試みる者は、恐らく「政治」や「経済」の領域へ踏み込むだろう。しかし芸術家は、持ち前の驕慢と繊弱に妨げられて、不合理な「行為」の世界へ溺れることを望まない場合が多い。行動家である為には、彼らは余りに性急な理想家であり過ぎるのだ。不合理な現実に、自己の抱懐する「理想」の具現化を妨げられるくらいなら、芸術家は決して実現されない「理想」そのものを仮構する途を選ぶ。言い換えれば彼らは、殺到する現実に埋もれて星座を仰ぐことさえ失念した多忙な行動家たちに代わって、美しいものの姿形を精密に告示する役割を引き受けるのである。芸術家の提示する精緻な見取り図は、彼ら自身の手では実現されない。自ら描いた理想を、自らの手で生身の現実の裡へ移植し、繁茂させるのは、並大抵の苦労では済まない偉大な事業である。
こうした消息は時に、芸術家の内面へ具体的な「行為」への情熱的な飢渇を育むだろう。
彼は居辛くなって船室を出て、サロンへ行って煙草を喫んだ。手には読む気もない書物を携えている。ゲエテの『ヘルマンとドロテア』である。二度三度耽読して、それ以上繰り返して読む筈もない本を、旅へもって出るのは次郎の癖であった。この頃彼は野放図に明るい書物をしか愛さなくなっていた。希臘悲劇や仏蘭西古典悲劇も、ただその悲劇性の明るさに惹かれて読んだ。幼時彼は、影を悪魔に売り渡し、影のない身になって歓楽の海へ身を投ずる若い漁夫の物語を愛読した。その童話は、影が人間の魂だと説くのであった。……これを思うと、次郎は現在自分の憧れているものが途方もないものであることに思い及んだ。魂のない明るさ、取り残された肉体の明澄さ、……そんなものだけを古典悲劇やゲエテの叙事詩の魂の営みから引き出してみてどうしようというのか? 精神を否定するのはいい、しかしそこからどこへ向って歩きだすかが……。(「火山の休暇」『岬にての物語』新潮文庫 pp.159-160)
「魂」は陰鬱な「影」に譬えられ、「肉体」は明澄な「光」に譬えられる。こうした表現は、例えば「国家」においてプラトンが論じた「太陽の比喩」のコンセプトに正面から背馳している。プラトンにとって「光」は、利発な「魂=精神」の象徴に他ならない。けれども、芸術家の内部に育まれた鬱屈は、そうした観照的な図式に抗わずにいられない。超越的な「実相」を、四囲の現実の渦中に象嵌しようとするプラトニックな表現の様式に、次郎は堪え難い倦怠と不信を覚えているのである。
『われわれの生も……』と次郎は考えた。『われわれが考えるよりはもっと壮大であり、想像と思念と行動が及ぶかぎりをこえて壮麗なものであるにちがいない。さればこそそれは現実ではないんだ。さればこそそれは表現を要求するんだ。この廻りくどい緩慢な行為を要求するんだ。表現によって、われわれは生へ還ってゆく。芸術家が死のあとまでも生きのこるのはそのためだ。しかも表現という行為は、芸術家の生活は、何という緩慢な死だろう。精神が肉体を模倣し、肉体が自然を模倣する、つまり自然を――死を模倣する。自然は死だ。そのとき芸術家は死の限りなく近くに、言いかえれば、表現された生の限りなく近くにいるのだなあ。芸術家にとっては、だから絶望は無意味だ。絶望する暇があったら、表現しなければならぬ。なぜかといって、どんな絶望も、生を前にして表現が感じなければならぬこの自己の無力感、おのれの非力を隅々まで感じるこの壮麗な歓喜と比べれば何ほどのことがあろう。……』(「火山の休暇」『岬にての物語』新潮文庫 pp.168-169)
「生」の現実を再構成すること、それは「生」の秘められた「本質」或いは「可能性」を探究し、露わに開示することである。「表現」は「生」を超越的な価値に接続し、偶有的な夾雑物を綺麗に洗い流して除去する。だが、そうやって抽出された「生」は、実際の「時間」の裡に封じ込められた現象的な「生」とは重なり合わない。両者の合致を求めることは、三島の悲痛な芸術的宿願である。「理想」が降臨することへの期待と絶望、それが三島由紀夫という特異な個性を形作る葛藤の源泉なのだ。