サラダ坊主日記

「この味がいいね」と君が言ったのはお世辞だったねサラダ記念日

2018-01-01から1年間の記事一覧

無害で安全な幸福

無害で安全な幸福という言い方には明らかに批判的な意識が反響して聞こえるだろう。私自身、無害で安全な幸福に憧れを持たない訳ではないし、傍目には、今の私の生活自体が、無害で安全な幸福の典型のように映じるかも知れない。 けれども、無害で安全な幸福…

Cahier(酷暑・京都・夏の光り・サカナクション)

*酷暑が続いている。茹だるような暑さという表現の相応しい日々が、人の生命さえも奪っている。娘は体温が上がると蕁麻疹が出る。汗疹も出るので、二重の苦しみだ。止むを得ず家ではずっと冷房を利かせている。機嫌の悪い娘を見るのは辛いのだ。 八月の盆休…

Cahier(夏季休暇・東北・疲労の価値)

*月末に連休を取って家族旅行へ出掛けることにした。行き先は盛岡と小岩井農場である。昨年の夏は生まれて初めて仙台と松島を周遊した。二歳の娘を連れているので、行き先の選定には頭を抱えることが多い。自然に触れさせてやりたいと思うものの、本当の大…

Cahier(禍福・艱難・生きる歓び)

*生きていれば嫌なことも億劫なこともあるもので、同じように愉しいことも幾らでもある。その狭間でシーソーのように揺れ動くのが生きることの基本的な光景だろう。これと決めた道程を真直ぐに歩んで、疑いも何も持たずにいられたら、それはとても安逸で幸…

Cahier(退院・新婚・nihilism)

*昨日、母親から、鬱血性心不全の為に入院していた父親が無事に退院することに決まったと報せてきた。早ければ一週間、長ければ三週間という事前の見立てであったから、比較的症状は軽微で済んだものと思われる。母親はメールの文末に、此れからは自己管理…

Cahier(老父・入院・寂寥)

*先日、勤務中に母親からメールが届いた。父親が鬱血性心不全という診断を受けて、松戸市内の総合病院に緊急入院したという報せである。慢性的な高血圧を抱えて、以前から服薬の習慣は持っていたものの、私の知る限り大病とは無縁の生活を送っていた父親が…

幻想を破壊すること

人間は自分の知らないことや体験していない事柄に就いても、何らかの理解や判断を持ちたがる生き物である。知らないことは知らないと明瞭に言い切ってしまえば済むのだが、知らないことに就いても彼是と考えを巡らせてしまうのが人間に備わった知性の内在的…

Cahier(集大成・夏風邪・賞与)

*引き続き、三島由紀夫の『鏡子の家』(新潮文庫)をちまちまと読んでいる。もう直ぐ全体の半分ほどの地点まで到達するところである。詳しい感想は全篇を読了した後に綴る心積もりだが、備忘の為にメモを記しておきたい。 この「鏡子の家」という分厚い小説…

丁寧に生きるということ

この世界を生き抜いていく上で必要な心掛けというものは幾らでもあり、計え方次第でそれは無数に膨れ上がるだろう。世界には先賢の叡智に満ちた金言から、見知らぬ酔漢の喚き散らす戯言に至るまで、星屑よりも多くの貴重な教訓が氾濫している。それらの教訓…

Cahier(「鏡子の家」・現実・退職)

*最近は三島由紀夫の長大な『鏡子の家』(新潮文庫)を読んでいる。同時代の批評家から冷遇されたと伝えられる作品だけに、退屈しないかと心配しながらページを開いたが、そんなに悪しざまに貶されるべきものだとは思わない。ただ「金閣寺」という緊密な構…

苦しみのないところには、歓びもまた存在しない。

人間の認識は「差異」というものの把握を前提に組み立てられている。「比較衡量」という言葉があるように、私たちは「差異」によって隔てられ、区分された対象を並べて比べてみることで、様々な観念の壮麗な伽藍を脳裡に建設する。換言すれば、私たちの有す…

「役割」に就いて

人間は純粋に一人きりで生活を成り立たせていくことは出来ない。現代のように、あらゆる事柄が分業化されている世界では猶更、表面的には孤独な、自閉的で個人的な私生活が可能に見えても、実際には、高度な分業と他者との相互的な依存が、生活の前提に据え…

三十二歳の男

結局、自分という生き物の組成を理解する為に、私は色々な事柄へ関心を寄せて、彼是と益体のない思索に耽っているのだろう。他人を理解することは、自分を理解することよりも時に容易く感じられる。それは私が、他人の外在的な事実だけを捉えて考察を加える…

音楽における「理性」と「感性」

偶々YouTubeでフレデリックという名の関西出身のバンドの曲を聴いて、割と気に入った。きちんと歌詞を読んだ訳ではないが、言葉に過剰な意味が与えられていない。私はサカナクションやPerfumeの音楽を好んでいるが、彼らの楽曲においても、言葉は意味よりも…

「生活」に就いて

「生活」という言葉は、私たちの暮らしの中に、当たり前のように溶け込んでいる。誰もが「生活」という言葉の厳密な定義を改めて検討する必要にも迫られぬまま、遽しい世渡りに齷齪している。例えば「就活」(就職に向けた活動)やら「婚活」(結婚に向けた…

Cahier(悲劇と日常・事実と思想・類型と独創)

*三島由紀夫の「金閣寺」(新潮文庫)の再読を終えて一箇月足らずだが、未だに鮮明な印象の断片が頭の中を通り過ぎていく。幾らでも書くべきことは残っているように思うが、何処から切り込むべきか、どういう筋道で侵入すべきか、巧く纏められない。その纏…

「倦怠」の心理的解剖 三島由紀夫「美徳のよろめき」

三島由紀夫の『美徳のよろめき』(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 三島由紀夫という作家には「泰平無事」とか「日日是好日」といった長閑で安逸な境涯を指し示す言葉が余り似合わない。彼は「無事」よりも「有事」を愛する、些か破滅的な…

「児童虐待」に就いて

先日、五歳の女の子が虐待を受けて死亡したというニュースが流れていました。 如何にも惨たらしい、そして独善的な惨劇です。概要を聞いているだけで胸が締め付けられるような事件です。虐待を日常的に行なっていたと思われる父親と、それを黙認していた母親…

欲望と道徳

一般論として、欲望と道徳との間には、相剋或いは乖離が存在していて、私たちの悩み多き動物的な心は、その隙間に片脚を奪われて動けずに悶えているものだ。道徳は共同体が円滑に回っていくように定められた規範であり約束事なのだが、何時の時代にも、誰の…

「不義密通」に就いて

江戸時代、日本では配偶者以外の人間と肉体的な関係を持つことを「密通」と称して、厳しく禁圧していた。独身の男女同士が関係を持つことさえ「密通」の定義に含まれていたのである。 公共的な規律に基づいた「婚姻」以外の総ての性的関係を「不義密通」と看…

複数形の「私」の共存共栄

昨日の自分と今日の自分は別人である。今日の自分と明日の自分もまた別人である。私たちはそれらを首尾一貫した同一の存在として認識している。そのように考えなければ、私たちの世界観は成り立たない。 或いは、私たちは自分を或る明確な一個の存在であると…

三島由紀夫「金閣寺」再読 3

③「美的なもの」の破壊に就いての先覚者 「金閣寺」における「私」とプラトニズムとの対決の過程には、或る脇役の存在が重要で決定的な影響を及ぼしている。「私」が大谷大学へ進学した後に知遇を得る「柏木」という級友である。彼の思想は、色々な意味で「…

「不倫」に就いて

漸く精神的な整理がついてきた気がするので、恥を忍んで、考えたことを書き遺しておきたい。人目に晒すような話ではないが、これを書くことは、私が建設的な未来へ向かって生きていく上で本当に重要なことなのだ。 私は以前、短い期間であったが不倫をしてい…

「決断」に就いて 2

丁度一年前に「『決断』に就いて」という表題の記事を書いていた。はてなブログから、定期的に送られてくる振り返りのメールを開いて、偶然に知ったのである。それに触発されて再び「決断」という観念、或いは行為を巡って、文章を認めたいと思った。 人間は…

相手から依存されることに喜びを見出すのは、自分が相手に依存していることの証拠である。

依存するというのは、弱者が強者に縋りつくような関係性のことを指していると思われがちだが、少なくとも依存的な関係が長期化する場合には、依存される側にも何らかの利益が発生していると看做すのが自然な推論である。依存される側に立っている強者が、相…

機智と空想 三島由紀夫「永すぎた春」

三島由紀夫の『永すぎた春』(新潮文庫)を読了したので、感想を書き留めておく。 「金閣寺」や「禁色」の限界まで彫琢された硬質な文体の恐るべき威力に慣れた眼から眺めると、この「永すぎた春」という作品の文体は随分と砕けて弛緩しているように見える。…

人間は誰も首尾一貫した理窟を生きていない。

また思い浮かんだ漫然とした雑感の欠片のようなものを、静かに追い掛けて確かめていくような文章になるだろう。生きていれば、それが単調な日々であろうと激動の騒乱に満ちていようと、何かしら考えたり思い余ったりすることは自動的に浮かんでくるものであ…

Cahier(依存・小利口・堕落・暗部)

*他人に依存するのではなく、自分の外側に接続されている諸々の外在的な権威に頼るのでもなく、自分自身の力と判断で、責任を引き受けて生きること、他人の存在を言い訳に用いて自分の信念や欲望を圧殺しないこと、不満の原因を他人に求めないこと、言い換…

三島由紀夫「金閣寺」再読 2

引き続き、三島由紀夫の『金閣寺』(新潮文庫)を再読した感想を認めておく。 ②プラトニズムの齎す倫理的害毒 「私」にとって「美」は、現象的な世界の裏側に潜んでいる、秘められた存在である。しかし、それは単純に「美」が彼岸的で超越的な観念であること…

Cahier(共依存・執著・渇愛)

*「共依存」という言葉がある。元々はアルコール依存症の患者とその家族との癒着した関係性の病態を指す為に、看護の現場から案出された概念であるらしい。その語義を極めて大掴みに咬み砕いて言えば「特定の人間関係に対する過剰なアディクション(addicti…